大切な人との大切な生活

私たちは皆よく使っている。落ち込みは、それ自体、とても強力なコントロールをもたらす行動である。強い落ち込みの中で、はっきり気づいていることは、みじめな感情である。この感情が行為、そして生理反応までもコントロールして、人の活動を鈍らせるのです。怒りを完全に遮断するには大変なエネルギーが必要です。そのため大変な疲労感を覚える。落ち込んでいるかぎり、何をする気力もない。私たちがすばやく効果的に落ち込むことができなければ、結婚はうまくいかなくなるし、家族や社会も機能しなくなる。落ち込みが夫婦問や家族間の暴力を抑えている。欲求不満に陥ったときに落ち込むことがなければ、道路や家庭は戦場と化してしまう。ほとんど毎日テレビで見ている殺人や傷害事件は、人が怒りを選択し、行動に移すと、どんなことが起こるかの良い例であります。もし彼らの少数でも落ち込んでくれたら、私たちも、彼らも今よりは良くなる。私たちのほとんどは、どのように落ち込むかを知っているし、うまく落ち込むことができる。この行動に自分の人生をかけ、世話が必要になる人もいる。この選択によって全く動けなくなって、機能できなくなることもある。しかし、それでもこれは選択である。もっと効果的に人生をコントロールする別の選択を思いつきさえしたら、落ち込みを選択しなくてすむのです。普段、こういった事はほとんどの人に意識されないので、一時の感情にすべてを振り回される結果となるわけです。それで大切な関係までをも破壊してしまうんですよね。でも、一度でもしっかりと自分の精神の構造を理解しておけば、大きな困難が襲ってきたとしても、なぜそのような状況に自分は陥っているのかしっかりと理解でき、適切な行動がとれるはずなのです。そして大切な人との大切な生活は維持されることになるんだと思います。

怒りの衝動

過去のフラストレーションの経験を基に、ほとんどの人と同じようにある彼は、妻が家を出るということを告げるメモを見たときに、ただちに怒りの衝動を覚えた。理想世界に入っている人が、してほしいと思っていることと全く違うことをしたときに、私たちのほとんどが真っ先に訴える行動は、怒ることである。しかし、私たちは、5歳になるまでに、怒ることは効果のない選択であることを理解する。特に怒っている大人をコントロールしようとして怒っても、欲しいものが手に人るわけではない。ぐずつく選択をしても、両親が賢明に無視すれば、くずついても何も得られないことが分かる。怒っても欲しいものは手に入らず、エネルギーだけを消耗し、苫痛を味わうだけである。しつこく悠っていると、この選択は状況を悪化させ、引を受けるか無視される。とちらも自分が望むものではない。 (さらに…)

人生の効果的なコントロール

通常うつ病、不安症、恐怖症などの精神病と呼ばれるものについても説明できるのです。成人のリューマチ関節炎のような病気さえも、同じ二つの理由で説明できるかもしれない。多くの医師は病気には心理的な要素があることを信じており、このような病気を心身症と呼んでいる。心身症の「心」は、考えていることが身体に起こっている現象と深く関わっている可能性を意味している。例えば、良い人間関係を持てないときに、人生の効果的なコントロールは失われる。このようなとき、身体がそのコントロールの喪失に困難を伴う関わり方をするかもしれないということだ。病気にならないとしても、欲求不満のときに良い気分が味わえないのと同様、完全に正常な生理反応を持つことはできる。 (さらに…)

なぜ多くの人が落ち込みを選択するのか

四肢麻痺の患者に医師が「きょうは何をするつもりですか」といったような質問をすると、まるで狂ってでもいるかのような見方をされることもあるようです。そんなときに、何らかの活動(例えば、テレビの番組を見て、病室の仲間とその話をするなど)を提案することをしていた。顔を合わせるたびに、その質問をされるのを待っていて、何かを話す準備をしている人もあった。しばしば彼らは、何かをしたときに、気分が良くなったと話してくれた。このことから、いつものやり方を変えることに効果があることが分かる。選択理論の世界では、「今日の気分は」というようなあいさつの代わりに、「きょうはどうするつもり」とか「何か大切なことが起こっていますか」などの能動的な質問をするのです。 (さらに…)

みじめさを選択する

みじめさを選択するくらいであれば、何かを積極的にするやり方のほうが、何もしないで受け入れるよりも優れているのです。行動についての知識を持ては、明らかに苦痛やみじめさを経験している人に向かって、「気分はどうですか」というような質問をしなくなる。この質問は、すくに治るはずのないけがや病気のとき、最もよくなされる質問である。整形病院で精神科医をしている先生が、治るまでにかなり時間のかかる患者に対して、この質問をしないように医師たちに話したことがあるようです。質問をしている人は、「気分はいいです」というような答えを期待している。患者も医師もそれが求められている返答だと知っている。そこで、患者はたいてい、「気分はいいです」とうそをつく。このうそによって医師と患者の関係が損なわれる。この質問はまた、医師の治療だけが患者の気分を良くすることができるという印象を与えてしまうのです。良い質問は、次のようなものなんです。 (さらに…)

自由の欲求の満たし方について

結婚の危機を避けようとするなら、二人は自由の欲求の満たし方について交渉しなければならないでしょう。この欲求について交渉する最苦のタイミングは、夫が退職する時ですね。しかし、妻が居心地が悪くなったと感じればすぐに、はっきり言うことです。待てば待つほど、困難になりますから。この夫婦が欲求について知識があり、以前交渉したことがあれば、大して問題は起こらないでしょうね。でもこれがはじめての父渉であれば、とても困難でしょう。私たちが社会的存在であること、そして欲求を満たすために良い人間関係を持たなければならないことは明白である。ロビンソン・クルーソーは、生得するためにフライデー(クルーソーがつかまえて召使いにした島の住民の名です)を必要としなかった。 (さらに…)

朝目覚めたとき

朝目覚めたときにみじめな気分であれば、確実に五つの基本的欲求の一つかそれ以上が満たされていないですね。例えば流行性感冒にかかっていれば、感染によってあなたの生存の欲求が脅かされていることを苦痛が教えてくれます。昇給予定がだめだったという知らせを受けたのなら、イライラは力の喪失の可能性があります。昇進すれば気分は良い。そうでなければ、今よりも悪い気分になる。休みに家族旅行に出かける予定でいて、犬がいなくなっていることに気づいたとする。犬を見つけるまで出かけられずに、怒りを感じる。テニスを楽しみにしていたのに雨が降り始めたなら、楽しみの欲求が満たされないのはまちがいない。あなたが感じる失望感が、満たされていないことを表している。 (さらに…)

親しい友人のいない人と関わるとき

気分が良くても、親しい友人のいない人と関わるときには注意するほうがよいでしょう。このような人は機知にとみ、一緒にいて楽しいかもしれないが、そのユーモアはすべて他人をこきおろすことや敵意が込められている可能性が高いからです。そういう人と結婚すれば、あなたはやがてその敵意のこもったユーモアの対象となり、後悔しながら結婚生活を送ることになるかもしれない。結婚相手には、大切にしている友人のいる人で一緒にいて楽しい人がよいでしょう。友人のいない人は、どのように人を愛したらいいかを知らない。私たちがたいてい良い気分を味わっており、同様に感じる他の人と親しい関係にあると仮定しよう。この場合、私たちがどのように感じるかは、かなり正確に自分たちの愛と所属の欲求をどのようにうまく満たしているかを示している。 (さらに…)

刹那的な快感

愛と所属の欲求を満足させるためには他人が必要である。他人の力になれると、気分も良いですしね。その過程で自分の力の欲求を満たせることにも気づいてくる。欲求を満たそうとするとき、自分が帰りたくなったら、誰かがいつでも歓迎してくれる望みを持って、自由な行動をする。私たちは学習することが好きだし、他の人と楽しくすることも好きだ。私たちの基本的欲求を満足させる理想の方法は、お互いが親しくなり、その親しい関係を維持することである。誰とも親しい人間関係を持っていない人は、いつでも孤独で、気分も良くない。明日になっても気分が良くなるという確信がない。明日もきょうと同様孤独であるからだ。不幸な人は刹那的な快感に集中する。 (さらに…)

誰にも依存しない快感

自分以外の誰にも依存しない快感を得るために私たちにできることがあるんです。多くの人は快感を得るためにマスターベーションをする。そのとき他人を空想しているかもしれないが、快感はその人に依存しているわけではない。私たちはまた、他人を利用することから快感を得る。例えば、相手を見下げることは、私たちがよくしていることである。その過程では、愛と所属の欲求は損なわれでも、確かに力の欲求を満たすかもしれない。私たちは、快楽のために他人の体をただ使って、愛のない性行為に従事することで、生存に関与する遺伝子を満足させることができる。私たちは、麻薬を使って、自分の頭脳をごまかすことができる。麻薬は、欲求が満たされたときに得られる良い気分と類似した感情を提供してくれるからです。私たちのほとんどは、幸福になることをあきらめないのです。より良い人間関係は容易ではないが、私たちにとって人との関わりが必要であるという考えを決して投げ出すことはない。こうした理由で、私たちの社会が機能しているのです。私たちは生存するために特に努力しているのである。自分だけで努力しているよりも、一緒のほうが容易で、より効果的で、たいてい気分も良いものなんですね。驚くほどたくさんの人妻が出会い系を使っているというのも、まさにそういった理由からでしょう。他人の体を使って快楽を得るというのは、やはり深く充たされるということはないのかもしれませんね。